2015

2011年にバンコクへ移ってからの4年はタイ語の勉強を一生懸命やりながらフリーランスで仕事をしていた。こういう話を書くとタイに住まわせてもらってるのに税金も払わずに、とか色々突いてくる方もいるが、例えば日本を見れば国のトップが公文書を捨てたとか、年金の行方がわからなくなったとか、とんでもない話がある中、例えばほとんど車も人も通らないような道路の一時停止をしなかったのを、電柱の影でこっそり見ていて罰金という刑罰を受ける。

無茶苦茶な世の中だから何をしたって構わないじゃないか、などと言いたいわけではない。自分の人生は自分の責任でつくりあげていかなければいけないというだけのことだ。誰かをあてにするのは止めたほうが良いし、この世はものすごい速さで変化をしている。ここでの当たり前は別の場所での当たり前ではないし、今の当たり前は明日の当たり前でもない。サバイブや。

そんな訳で語学学校をいくつか転々としながら、そのたびに学生ビザを更新してやっていたのだが、学生ビザの更新回数には制限があるということで、次のビザ取得の方法としてタイでの起業を考え、ちょうどその頃知り合った日本人と起業をしてみることにした。立場も報酬も50-50でやろうと甘いことを言っていた。実際にそう考えていたし、肩書きなんかには今も昔も興味がないので、彼に代表を任せた。人を集めて、半分を看守にもう半分を囚人にする、という実験では、やがて看守はあたかも看守のように振る舞い出すというものがあったが、まさにその通りで、すぐにボクはこの会社を続けていく意欲を失った。